▼ キューバ編
4 キューバの郵便事情の話をするはずが物欲が強過ぎてお土産について語っていた話。
一度は想像したことのある、「最悪の瞬間」
それは突然やって来た。
2017.5.8(月)
キューバ 7日目 - トリニダ → カマグウェイ
(※ 食事中の閲覧、ご注意。当ブログを最近初見の方、非常にご注意。)
「キューバは、スケジュールに余裕あるなら東もいいよ。」
今となっては誰かは忘れてしまったが、どこかで旅人の誰かに勧められたうちの一つ、東の町 “カマグウェイ” へ向かうバスへと乗り込む。
4時間くらいの予定だ。(実際は5時間半だった)
中南米を旅していたら4時間なんて、暇を持て余すこともない。
しょっちゅう10時間やら20時間やら、時には30時間やら40時間やらの移動をしていると感覚が馬鹿になり、4時間なんて何をするわけでもなく、日本でいう通勤時間くらいの何てことない距離感覚になる。
wifi環境がない国で、一緒に旅する予定だった友達もいないが、
(↑ キューバは日本人旅人と沢山出会ったり世界のどこかで会った友人と偶然の再会を果たすというのが旅人間の「キューバあるある」だと聞いていた。旅人あるある詐欺。)
唯一ダウンロードしていたフィギュアスケートアニメ「ユーリ on ICE」の11周目の再生ボタンを押せばバス移動なんて一瞬だ。
長距離移動、空港泊、ネットのない国々での旅・・・一人旅をするとすっかり暇つぶしのマスターになることを肌に感じ、成る程、一人っ子が一人遊びが得意だというのも改めて頷けた。
事件は、バスに乗って数時間経った時、
突然音も立てずにやって来た。
「お・・・・・
お腹痛い・・・・・・・・・・・・・・」
突然、突然やって来た。
「お腹痛い・・・・・!」と「!」も使えないくらいの
本気で、本当に、ガチでやばいやつてかやばいヤバイYABAI!!!!!!!!!
額には脂汗。
いやきっと全身脂汗。
顔面蒼白。
とにかく究極に、究極に、やばい!
バスは街中に入る気配もなく、高速道路のような街間の道を快走している。
街につく気配も、周りが草原というわけでも、どこかに立ち寄る、立ち寄れる空気も気配も全くない。
耐える。耐えるんだ。
すでに到着時間は余裕で遅れてる。
中南米なんて時間通りに到着する方が珍しい。
周りの景色を見ても、ここでバス止めてくれなんて降りるなんて到底言える状態じゃない。
精一杯、ありったけ、我慢するのに必要な要素を身体中の細胞から掻き集め、耐えに、耐え、耐え、耐えて耐えて、耐え耐え耐え耐え耐え耐えに耐えて、究極に究極に耐えた。
1分どころかほんの10秒でさえ気の遠くなるくらい長く感じる。
時計を死にそうな目で凝視するが一向に長針さえ動きしない。
すでに限界の限界から耐えてるから身体も頭もイカれそうだ!!
「今は出せる状況じゃない」
と当たり前のことがわかっているのだが、わかっているだけではどうにもならんのだ!
お腹痛いきついしんどいを通り越して、
吐きそうやしていうかもう出る出る今でる!
もう止めてしまおうかとも10億回考えたけれども、車がどんどん通る脇道もないところで緊急停車して遮るものもなくケツも股も物も丸出しピヨピヨする勇気と、あと一人でこんなところで降ろしてもらって荷物ごと置いてかれないか
などと、この後に及んでも最低限の恥じらいの気持ちと自衛防犯の意識は残っているようだった。
「止める」「いやでも」「無理や止める」「いや」
このループが延々とぐるぐるとぐちゃぐちゃと多量の脂汗と共に流れていった。
とち狂うほど追い込まれた私はついに、
一番後ろの席やし、これはもう、、、、
究極出るってなったら、、、
ス、、、、スーパー袋に出すしか・・・・・・・・
いや
勿論冷静に日本だったらビタ1秒も考えたことない思考だったことは仮にも一人の20代日本人一般女性のちっぽけなプライドを守る為にお伝えしたい!
「20代日本人一般女性がキューバの長距離バスにて究極に排泄追い込まれたら」の答えは「スーパー袋」に行き着くらしいので、これから世界を旅するうら若き乙女たちはサブバッグにスーパー袋を一つ常備しておこう。
出口はもうダム決壊寸前です限界です車内じゃなかったらコンマ1秒で確実に出ますというかもう爆発寸前です毎秒3回は出よう出ようとしてマグマ噴火寸前のアレうわあああああこれもうダメだ誰か助けてえええええええええええええええええええええええええええええええええええええええええ
スーパー袋を片手にとった!(狂)
まさにその時だ!
「ビーーーーーーーー」「ガッチャン」
バスが止まった!
ドアが開いた!
誰かが降りた!
思わず即座にリュックを掴み、前へと駆け込む!!!
「quiero ir a bano no tengo tiempo!!!!!!!」
(トイレ行きたい時間がない!!!!!!!)
全く1mmも動ける状態じゃなかったのにどうやって身体があの時だけ動けたのかは全くわからないが脳も通さず何も考えず身体が動いていた!!
「このあとバス置いてかれるやろか」とか、”この下車した先の周りの景色”とか、こんなところでいきなり言っても都合よくトイレなんてないし探している数十秒の間に確実にもう服着たまま公衆の面前でダム決壊するとか
そんなこともその数秒の間にぶわっと浮かびはしたが、もうそんなことも言ってられないというかそれさえも考えずとにかくquiero ir a bano no tengo tiempo!
涙目、汗びっしょり、真に迫る状態で掴みかかる勢いで駆け込んだものだからバスの運転手も瞬時に状態が伝わったようだ。
バス停なんて場所ではなくたまたま止まった場所にもかかわらず、目の前にある家に「この子に今すぐトイレを貸してやってくれ!!」と即座に言ってくれて、
たまたま止まった場所の目の前にあった家にも関わらず、家の人はこれまた1秒も躊躇わずに見知らぬアジア人をいきなりトイレまで案内してくれ、
ピヨピヨピヨピヨピヨピヨ
ギリギリ1秒で(本当は身体的にはとっくのとっくにアウト)、私の、人間としての、女性としての、一生に残るであろう「恐ろしい事実」は生まれずに済んだのだ。尊厳は保たれた。
貸してくれたお家の人、バスの人、キューバよ、世界よ、父よ母よ友人よ、応援してくれた日本中の100万人のファンの皆よ、
本当に、本当にありがとう!
残念ながらお嫁に行く予定は全く立っていないが、排泄キロク的にはお嫁にギリ行けそういやそうでもないかもしれない。
本当に有難い救われた、九死に一生を得た状況だったので、究極に追い込まれた状況にも関わらず、あの時の一連の光景ややりとりを私は2年近く経った今でも全く忘れていない。
駆け込んだキューバの家は、トイレという個室はなく、台所も部屋も全て壁がなくワンルーム1階の平屋。「平屋の一軒家」というには少々簡素なもので、「バラック小屋のようなもの」という方がイメージに近いと思う。
トイレとシャワーは一緒で、台所とリビングの間にあり、病室のベッド周りのようにカーテンで仕切られているだけ。しかもトイレはベッドの横だった。
よりによってカーテンで仕切られているだけのところで、ピヨピヨ。
恥ずかしさは勿論あったが、自分の恥ずかしさなんかよりもとにかくトイレを貸してくれたお家の方々への申し訳なさが何倍も何十倍も勝り、情けなさと申し訳なさで、本当に言葉にしようがなかった。
そして皮肉にも、思わぬタイミングと流れでキューバの経済状況や生活状況の本当にリアルな部分の一片を垣間見ることとなった。
用を足したものの、、、、、
流すボタンがない。引っ張るような紐もない。
こういう時は背もたれ部分にあるタンクを開けて、中に手を突っ込んで何かしらを引っ張って流すパターンが次の手なのだが、
最悪だ・・・・!!!!!
中見たら、タンクの水はカラ。
ああ死にたい!
途方に暮れていると、バスのおっちゃんが「まだか」と。
幸いにも置き去りにされることなく待っていてくれた。
カーテンで仕切られた中から申し訳なさと情けなさで泣きそうな声で言う。
「yo quiero terminar, pero…….. no agua…………」
(終えたいんだけど、水がなくて・・・・・えっと・・・・・・・)
すると、家の女の人が「大丈夫大丈夫、処理しとくわよ。」と。
顔色一つ変えずに言って暮れたのだ。顔色一つ変えずに。
女性の顔、その時の光景、何かも、一生忘れない。
そして受けた優しさを忘れてはいけない。
「Muchas Gracias…..!!!!」
本当にありがとうと何度も伝え、バスに戻った。
バスに戻り、再出発。
皮肉にもなんとここから5分、たった5分で到着した。
バスターミナルを降りるなり、出口にはものすごい形相をしたバイタクやタクシーのおっちゃんの圧。
ミャンマーを思い出した。
この圧や、この旅トップレベル。
ちなみに、大ごとではない旅のトラブルやストレスのだいたいは、移動とそれに伴うお金に関するトラブルである。
ものすごい形相と圧と共にものすごい声かけの嵐の中の一つの
「bicitaxi(バイクタクシー)?」
に、「そうそう」と返したら、
他の人たちは皆、突如黙った。しかし一同私を凝視。
その光景は異様だった。
「返事したらその人の獲物」というルールでも決まっているのだろう。
あんなことがあった後ですっかり狼狽していたので、言い値の3cuc(=3ドル)で街まで連れて行ってもらうことに。
こういうタイプの国やこういうがっつり客引きな雰囲気だと ”交渉ありき” なので、仮にもバックパッカーの端くれとしては言い値なんて言語道断!なのだが、もうとにかく値段交渉する気力がなかった。
「トイレ行きたい時間がない!」の一言に魂ごと持ってかれたようだ。
でも向こうが ”客が返事をした後に客を取り合わないルール” ならば、どちらにせよ3cucよりは下がらなかった可能性も高かったと思う。
bicitaxiこと自転車taxiは、とても気持ちが良かった。
晴れている中、人通りも少なく、自転車によって少しだけ風を感じる。
乗っていて、とても居心地のいい速度だった。
「明日適当に自転車taxiでまわってもらおうかな。」
と、自分の切り替えの早さに呆れつつも、少しワクワクした。
「東がいいよ。」
という旅人間の評判を聞き、やってきたカマグウェイ。
トリニダよりはローカルだが、「行き5.5時間、帰り10時間。」の価値はあるのだろうか、という不安も期待も背負いながら、この街へ入る。
次回も同じ時間に更新します!
Please follow me!
余談その1
この記事、実は8月末に一度書いて、「やっぱ書けねえ!出せねえ!」と消しては、また書いて、を数回に渡りやっているうちに真夏から真冬になっていました。笑
日本に帰ってしばらく経つからか、帰ってから新たに私の旅やブログなんぞ殆ど知らない新しい友人達ともSNSが繋がったからか、とにかく更新するのに勇気のいる回でした。
誰かに賞賛されるわけでも、別に面白いわけでもお金が入るわけでもないが、ノーカットノンフィクションで450記事以上来たのだからここで負けるわけにはいかぬのだ!
エイヤー、行ってまえ!
余談その2
あの時バスの中で排泄の極限を迎えたことで、何故か急に、ポーランドでアウシュヴィッツ収容所の見学に行った時の記憶がフラッシュバックした。
たった今「余談その1」で、”ノーカット記録 ” と書いたところだが、
たった一つ書いていない、いや、書けていない日の話が、アウシュヴィッツ収容所での話。
その時の私には、あまりにも重く、あまりにも考えさせられ、そのまま言葉にすることができないままになってしまっている。
今回キューバのバス内で思い出したのは、
「トイレは1日2回、好きな時には行けず、言われた時しか行けない。」
という話。
これは言葉以上に重みがある事実。
これに限らず、収容所での規則は「絶対」であり、どういう状況でも破ることができない。
大人一人立ってギリギリのスペースしかなく、立ったまま動けないトイレもない拷問監禁部屋も見学した。
腐りかけた、虫の湧いたご飯も食べるという話も聞いた。
勿論お腹も壊しているだろう、だが勿論トイレに自由にいけないし、薬もないし、死んだらそこまで、それだけの話。
そして漏らしても体罰や拷問、あるいは死・・・・・
冗談なく、劣悪な環境下で本当に死と隣り合わせな状況下に置かれた人達のことを、違う国・違う時代であれど一人一人変わらぬ私たちと同じ「人間」にそういう事実が実在したことを、思わぬタイミングで思い出すこととなった。
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