ベルリンの壁について、勉強してみる。(※ 追記あり)

 

 

2016.10.9 世界一周 181日目

19カ国目:ドイツ / ベルリン

リアルタイム: モンテネグロ / コトル→ポドゴリツァ

お金:1ユーロ:約114円

挨拶:ありがとう/  ダンケ シェーン こんにちは /   グーテン ターク

 

 

 

プラハより再びドイツへ。

ベルリンにやって参りました。

 

 

プラハ旅から一足先にベルリンに戻った男組3人と再合流です。

そしてお昼過ぎにベルリンに到着したのですが、もう夜7時頃には空港です。

 

今夜、いよいよ、

旅前から「一番行きたい国は?」と聞かれて答えていた国

 

アイスランド

 

へ向かいます!

わー!楽しみーーー!

 

 

ベルリンは半日も滞在時間がない為、一箇所だけ。

ベルリンの壁

を訪れます。

 

 

 

今日は少しその前に余談話を。

 

 

 

いきなりですが自分事を一つ暴露させてもらうと、

お恥ずかしながら、学生時代より一番苦手だった科目は「社会」分野。

社会に出て働き始めてからも、ニュース・歴史・時事・・・そういう類の話にはあまり関心を示しませんでした。

 

 

でも、旅中、色んな土地を訪れ、色んな人に出逢い、話をし、

この歳にして今更ですが、歴史や時事を知らないことを

「恥ずかしい」「勿体ない」と思うようになりました。

 

 

そして、雑学含め、知識の多い人は「かっこいいな」「美しいな」と思うようになりました。

適切かはわかりませんが、「品のある人」ていうんですかね。

 

勿論それだけでなく、例えば

 

「心遣い、気遣いができる。」「時間や心に余裕がある。」

「マメである。」「人に平等に接することができる。」

「悪口を言わない・他人を傷つけない。」

「マナーが身についている。」「素直である。」

「言葉遣いが綺麗である。」「自分自身の駄目な部分を認める。」

 

などなど、色んな要素が積み重なって、その人の「品」「教養」というものが出てくるのかもしれませんが(自分には足りないものなので言い切れないのですが・・・)、

 

 

旅中(あるいは思い返せば日本にいる頃に)出逢った人達の中で

「こういう人に数年後、数十年後はなりたいな。」

と思った人達は、そういった部分を持っていたりして。

 

これからは少しずつ意識して養っていけたらな、なんて考えています。

 

 

「知識や教養を高める。」

というのもそのうちの一つでして。

 

もう既に27年も経ってしまいましたが、予定では順調に行けばあと人生50〜60年くらいある予定なので、

「知識を増やしていくことに「遅すぎる」はない。」

と自分自身に言い聞かせながら、気になったこと・機会があったところから少しずつ勉強中な今日この頃です。(浅く広く・・・・)

 

 

 

さて。

そんなことを書いて「ベルリンの壁」記事だなんて、自分自身でハードル上げているようなものなんですが。汗

今までと変わらずブログはのびのびとマイペースに書いていこうと思います。

 

 

 

ベルリンの壁

 

 

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<wikipedia先生より>

 

ベルリンの壁(ベルリンのかべ、Berliner Mauer)は、第二次大戦後に敗戦国ドイツの首都ベルリンが東西に分割され、1961年夏に突然西ベルリンの周囲を取り囲む形で建設された壁である。

(中略)

このベルリンの壁はドイツ分断と東西冷戦の象徴とされたが、1989年秋に東ドイツ国内の混乱の中で同年11月9日に東ドイツ政府の不用意な発表から、その日の夜に壁の前に多くの東ベルリン市民が押しかけて、壁を通過して西ベルリンに向かい、この日にベルリンの壁は崩壊した。

 

 

 

もう少し掘り下げて & 言い換えていきます。

 

 

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資本主義の西ベルリンと、ソ連が統治する社会主義の東ベルリン

経済格差は大きくなり、西ベルリンの方が雲泥の差で豊かだったそうで。

 

ベルリンが分断された当初は東西ベルリンの行き来はまだ自由だったので、

「そりゃええ暮らしできる方がええに決まってるやろ。」

と、どんどん人は西ベルリン側(≒西ドイツ側)に流れていって。

 

「やばくない?この状況・・・。」

と思った東ドイツ政府は、ある日突然、

東西の行き来を不可能にする「ベルリンの壁」を建設しました。

 

 

最初は簡易なものですが、わずか一夜にして出来たそうです。

本当に突然の出来事だったので、家族や親戚、恋人や友人と離ればなれになってしまった人達が沢山いたというわけです。

 

 

 

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実際ここを訪れた時、少し驚いた。

 

とんでもなく大きく厚い壁なんだろうなと勝手にイメージしていたのですが、

高さ3〜4m、厚さ15〜30cmの壁は、

想像していたよりも随分低く、薄く感じた。

 

 

でも、ここには更に

有刺鉄線が張り巡らされ、兵士による警備が置かれ、

乗り越えようとすると射殺される。

 

実際120〜200人(推定)の人が乗り越えようとし亡くなり、

ベルリンの壁以外も含めると、亡命しようとして1200人もの人が亡くなったそうです。

 

 

この「どこにでもありそうなサイズ」の壁1枚で、

 

家族や恋人と何十年も、或いは亡くなる日まで離ればなれにった人達。

命を落としてでも乗り越えようとした人々。

壁の為に命を落とした人達。

 

 

当時、ベルリンの人々にとってこの壁は、

この実際のサイズと全くもって「=」ではなかったのだろうな。

と、ふと思いました。

 

 

でも。

 

「だろうな」なんて書き方をしましたが、

めちゃめちゃ「他人事」とも感じませんでした。

 

だって、

自分がたまたまこの国・この時代に生まれてきただけであって

この出来事が、「自分、自分の家族ではない理由」なんて、特別にあるわけではないのだから。

 

当時、これらのことに巻き込まれた人々もまた、

「たまたまその場所、その時代に生きていた」だけなのです。

 

 

 

行くまで知らずに驚いたのが、日本に関する絵が一枚あったこと。

 

 

pa092134th_

 

 

この絵の作者は東ドイツから西ドイツに強制出国されたドイツ人だそうです。

(西側で発表された彼の詩集が国家反逆罪に問われた為)

 

この絵には、特別に「日本」に対してメッセージが含まれているわけではなく、彼はその後世界を放浪し、日本が好きだっただけらしい。

 

ただ、「東側」に描かれているこの絵。

「壁の向こうにある日本の風景」を描かれている意味は

 

「壁の向こうにある「西ドイツ」ではなく、もっとドイツを離れた遠い世界を見て欲しい。」

 

という意味が込められているそうです。

(参考元:★)

 

 

 

そして、一番有名な絵はやはり、これ。

 

 

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旧ソ連側が東ドイツ(≒東ベルリン側)を統治していたのですが、

この二人は、その旧ソ連と東ドイツ、両書記長だそうで。

二国間の密接な関係を皮肉の意味を込めて描かれているみたいです。

 

 

 

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実際に二人はキスを交わしているんですよね。

写真が別の壁にありました。

ロシアでは挨拶として男性同士がキスをする風習もあるそうで、両者も挨拶としてキスをしていたそうです。

 

 

 

ベルリンの壁、

この後に行ったポーランドのアウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所、

そして東欧旅で垣間見えるユーゴスラビア紛争・・・・

 

学生時代、なんならつい最近まで

私が「暗記項目が多くて、退屈だ。」と思っていた科目の文字面の背景には、

大勢の人々、一人一人の生死・人生・それに懸けた想いがあるのだ

と、肌で感じました。

 

 

 

pa092137th_

 

 

ドイツ編、以上です。

ありがとうございました!

 

 

※明日は約24時間移動になる為、おそらく更新お休みです。

 

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2件のコメント

  1. こんばんは!

    この壁も、すっかり観光地になっていますね。
    自由民主主義と社会主義とを隔てる線は、ベトナムでもなくなりましたし、後は韓国と北朝鮮の国境だけですね。
    これも、いつかなくなるかもしれませんね。

    まあ、友人の韓国人は、北朝鮮との統一は望んでいませんけど・・・。

    1. こんばんは!!
      やはりここんとうざいさん、コメントいただけましたか・・・!笑

      ああ、あともうそこだけなんですね!
      いつかなくなればいいのではと思いますが、私も当事者ではないのでそう易々とは言えないですよね。

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